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お医者さんと春の嵐

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書籍紹介

あなたは世界の中心なんです。

夫婦同然の九条と新居で暮らす医師の甫。
医局を率いながらも、弟の遥と暮らす部下の深谷と共に職務に励んでいた。
そんな時に九条が見つけてしまった、部下の女性からの甫への手紙。
互いを想う気持ちに不信はないが、己の想いの深さゆえに九条は悩んだ。
「重すぎる愛情で、あなたの人生を滅茶苦茶にしてしまうのでは」
しばらく、ひとりにしてほしいと突き放されてしまった甫は……。

立ち読み

「先生が、お仕事を、職場の部下の方々を大切に思っておられることも、僕を大事にしてくださっていることも、ちゃんとわかっています。それは本当です」
「……ああ」
「でも僕は、こう考えてしまうんです。もしあなたに何かあったら、僕は即座に店を閉めて駆けつけるでしょう。勿論それは、僕が個人商店の主だからです。自分のお客さんにかけた迷惑は、僕ひとりに降りかかる。だからできることです」
 甫は、もはや相づちさえ打たず、じっと九条の話に耳を傾けている。
「でも、あなたはどうでしょう。もし僕に何かあったとき、即座に職場を飛び出すことができますか?」
 甫は、ハッとした様子で九条を見た。九条もまた、甫を真っ直ぐに見据えていた。
「それは……」
「何か、の程度次第。そう仰りたい顔ですね。たとえば、僕が交通事故に遭って死にそうだとなれば、あなたはきっと駆けつけてくださる」
「無論だ」
「でも、そんなときでもあなたはきっと、部下の方々に指示を出し、滞りなく業務が行われることを確信してから、職場を後にするでしょう。たとえその間に、僕が死ぬかもしれないとしても」
 甫は、絵に描いたように見事な驚愕の表情で絶句した。目を見開いたまま固まっている甫に、九条は寂しく微笑んだ。
「だから言ったでしょう、汚い感情だと。あなたにとって、それが最善の行動だとわかっているのに、そういうあなたが好きで、尊敬しているのに、僕の心はそれを不満だと感じているんです。あなたがなりふり構わず、後先考えず、僕だけのために行動してくださることはないんだなと」
「待て。待ってくれ」
 甫は右手で思わずこめかみを押さえ、左手を軽く前に突き出して、九条の話を中断させた。そして、必死で言葉を探しながら反論を試みた。
「そんな『もしも』は考えたくもないが、万が一、そんなことがあったら、俺は確かにお前の言うとおりに行動するだろう。それは、患者さんにも部下たちにも責を負うべき科長としての、俺の最低限の義務だ。たとえ何があっても怠るわけにはいかない」
「わかっています」
「だからといって、お前を仕事より軽く見ているとか、蔑ろにしているとか、そんなつもりは一切ない」
「でも、僕のために我を忘れて行動することはできない」
「それは……!」
「すみません。馬鹿みたいですよね、こんな言い草。けれど、僕にとって、あなたは世界の中心なんです。あなたなしの人生はもうありえない」
「九条、それは俺だって同じだ」
「ええ。でも、たぶん気持ちの重さが違う。前の恋人にも言われました。僕は、重すぎるんですよ……その、体重ではなく、気持ちが」
 体重も俺よりは重いが、と大真面目に返しかけて、空気が読めない甫といえども、ここはさすがにぐっと思いとどまる。
 九条は、切なく微笑んで言った。
「こんな自分では、また同じ過ちを繰り返してしまう。いつか僕が、この重すぎる愛情で、あなたの人生を滅茶苦茶にしてしまうのではないかと」
「いくら何でも大袈裟だろう」
「でも、先生、困ったでしょう? 今、僕にそんな風に言われて」
 嘘をつけない甫は、困りながらも正直に認める。
「それはそうだ。お前のためにすべてを投げ出せなければ本物の愛情ではない、自分の愛情とは釣り合わないと言われたら、俺は困るしかない。俺にはどうあっても、職場における自分の義務をすべて放棄することはできない」
「そして、僕の心の中には、それを不満に思う悪魔がいる。……僕自身が、その事実に耐えられないんです」
 酷く理不尽なことを言われていると、甫は再び感じた。だが、言葉を発するたび、九条が本当に苦しそうな、つらそうな顔をするので、甫は腹を立てる余裕もなく、組み合わせていた指を解いて、右手を空っぽの皿ごしに九条のほうへ差し伸べた。
「九条。そこだけは、俺も譲れない。だが、他に何か、俺の愛情を……お前の中の悪魔が満足するだけの愛情を示す方法はないのか?」
「……わかりません。ですが、今の自分のまま、先生のお傍に素知らぬ顔で居続けることも、僕には我慢できません。……我が儘を言いますが、しばらく、僕をひとりにしておいていただけますか? これからのことを考える時間がほしいんです」
「これからのことというのは、俺との生活という意味か?」
 九条は甫の手に触れることなく、神妙な面持ちでこっくりと頷いた。
「はい。これからの人生を、本当にあなたのお傍で過ごしてよいものかどうかを」
「それをお前は、ひとりで考えるつもりなのか?」
「はい」
「俺とお前が共に過ごす人生のことだろう。それなのに、何故」
 甫は困惑と怒りが混じり合った声を出したが、九条はごく冷静に言い返した。
「ですが、こればかりは、僕サイドの問題ですから。先生は関係ありません」
「……だが」
「ですから、我が儘と申し上げました。これだけは、聞き入れてくださると嬉しいです。結論が出たら、申し上げますから」
「九条、俺はお前と」
「僕は、お風呂に入ってきます。僕に構わず、先生はいつもどおり生活なさってくださいね」
 そう言うなり、九条は席を立ち、ダイニングを出ていってしまう。
 あまりのことに後を追い、引き留めることすらできず、甫は放心したように座り続けていた。
(もし俺が、仕事も何も放り出して、あいつの危機に駆けつけたとしたら……いや、言葉だけでもそうできると明言すれば、あいつは満足して、この問題は即解決したのか?)
 そんな疑問が浮かんだのは、九条が去って五分ほども過ぎてからだった。
 しかも、答えはノーだ。
 いや、答えがどうこうというより、その疑問の「もし」は絶対に成立しない、と甫は思った。
 そんな甫だからこそ、九条は好きでいてくれるのだと思っていたが、本当はそうではなかったのだ……と思うと、甫もまた、大きなショックを受けていた。
 自分が絶対に譲れないポイントが、誰より大切に思っているパートナーを傷つけてしまうのだとしたら、甫のほうも、これからどうやって九条と生きていけばいいのかわからなくなる。
「こういうとき、俺はいったいどうすればいいんだ?」
 誰にともなく投げかけた問いは、答える者もなく、ただふわふわと宙に消えていく。
「とりあえず、真っ先にすべきは、片付けだな」
 力なく呟いて、甫は立ち上がり、四角いトレイの上に、のろのろと食器を集め始めた。

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