リガード
彼が、恋しい──。
ニューヨークへ栄転となった薙久。想いを通じ合わせた圭一と離れてしまい、心も身体も寂しくもどかしかった。けれど圭一が買い付けのため渡米してきて、しばらく共に過ごすことに。異国の地での彼との生活は、とても満ち足りたものだった。つい、胸に秘めていた言葉が口を突きそうなほどに──。圭一の父・洋祐の鮮烈でいて一途な恋を顧みる「ETERNITY」も収録。
「男の料理だから、期待するなよ?」
キノコとオリーブをざっとソテーしてイタリアンパセリをざくざくと切って散らす。
オーブンには、厚切りのハムと八つ割にしたキャベツとトマトが突っ込まれていて、いい匂いをさせていた。
天板を取り出して、皿に移し替えてくれる様に圭一に頼み、パンを余熱で温める。
「火傷、気を付けろよ」
その手際に、圭一は目を瞬かせた。
「凄いな。前から、料理してた?」
「いや。こっちに来てから」
「うまいよ」
味見に差し出されたスプーンを口にして、圭一は破顔する。
「俺も何か作ってみたいな」
料理をする必要のない暮らしで、させたいという者もいないから。
「なら、来週、グリーン・マーケットに行ってみるか」
「いいね」
贅沢ではないけれど、作り立ての食事と酒のある食卓。
ハムから出た油と塩気が移って、トマトの酸味もあり、キャベツには粒マスタードを添えるだけにする。
どちらの皿も、辛口の若い白ワインに良く合った。
「おいしい」
その感想と表情で、薙久は飢えが満たされるのを実感した。
何よりも自分の空間で、向かいに圭一がいるのが嬉しい。
構える必要のない、誰に見られているのでもない、自分達だけの時間。
「ホテル、帰らなくても?」
「大丈夫だよ」
毎日、日本に連絡を入れている筈だ。
シャワーを浴びた圭一は、腰にバスタオルを巻いて出てきた。
葛貫家の様に、バスローブなどという洒落た物は常備されていない、男の独り暮らしだ。
自分だけなら、湯上がりに裸で室内をうろついたりもする。この点は、実家暮らしでは出来なかった解放感だ。
すぐに剥いでしまう事になるけれど、薙久は寝間着の上を圭一に渡した。
「すぐ出るから」
久し振りで、大丈夫かと、シャワーに打たれながら身震いしてしまう。
薙久が浴室から出ると、圭一はベッドに俯せて、縦長の窓の方を眺めていた。
眺望は良くないが、月光はひとしく差し込んでくる。
薙久はその背中にそっと掌をあてた。
圭一が身を捩ると、腰を覆っていたタオルがずれて、腰骨から下が見えそうになるのを、薙久は目で楽しむ。
覆い被さって、口付け。
掌で確かめながら、唇もその後を辿る。
足の甲まで来ると、圭一はくすぐったがったが、望みのままに薙久は指を口に含んだ。
足の爪も綺麗に研かれていた。
男の足先がこんなに綺麗で良いのかとも思うが、全身に目立つ傷はないし、圭一の身体はうつくしい。
けして中性的な美ではないけれど。
唇はまた上へと辿り。
圭一の性器を口に含むと、かすかな声が頭上に落ちる。
その声は、薙久の熱に一気に火をつけた。
明日が月曜だなんて、忘れてしまいたくなる。
薙久は押し広げた内股にゆるく歯を立てる。
「…っ…!」
上がる嬌声に、腰骨の奥がたまらなく疼いて熱くなる。
薙久は伸び上がって、腕で目許を覆った圭一の項を噛んだ。その腕を退かせて、鼻筋を擦り合わせながら、泪に潤んだ双眸を覗き込んで、囁いた。
「加減、出来ない…」
鼓動の荒い胸を重ねて。
返事の代わりに、圭一の腕が薙久の首に回り、もう片方の手は頬を撫でて口付けてくる。
閉じた瞼で震える睫。
薙久はもう、それだけで、駄目になった。
翌朝、薙久は乱れきって無残な状態になったシーツを前に途方に暮れ、それと圭一の服も洗ってしまおうと、シャワーを浴びると籠に大量の洗濯物を突っ込んで地下に降りる。
ストックの歯ブラシを渡され、身支度を整えて薙久の着替えを借りた圭一も、珍しがって付いてきた。
少し階段で歩き辛そうで、無理をさせた自覚のある薙久はいたたまれないが、満たされていてつい顔が緩んでしまう。
「コインランドリーと変わりないぞ?」
ただそれが住人専用というだけで。
しかし、満室だという割に生活時間が異なるのか、ランドリー・ルームを利用していても、薙久は未だに隣人としか会った事はない。
いつもならば本や携帯端末を持ち込んで仕上がるのを待つが、今は圭一がいる。
「洗濯物とかは、うちに持ってくれば良いし」
「ありがとう」
「アイロン掛けとか、結構、上手くなったからな」
「…アイロン、掛けた事ないな」
家政婦が家事を担う生活だったのだから、当然か。
乾燥機から洗濯物を取り出したところで、時間切れになった。
慌ただしくスーツに着替えて、出る支度をし、所在なげな圭一に苦笑を向ける。
「メシ、用意出来なくてごめん」
「俺は時間があるから良いけれど…」
「行きに何か買っていって、オフィスで食うから」
身体が辛い様なら、部屋にいてくれて良いからと云うと、壁に凭れていた圭一は首筋を赤くした。
かわいいなと、薙久は頬を緩める。
月曜なぞなくなってしまえば良いと思いながら、圭一も一緒に部屋を出た。
一階の扉を開けぎわ、振り返った薙久は触れるだけのキスをする。
「行ってきます」
「…うん」
一瞬だけ、指を搦めて、二人は並んで歩き出した。
起き出した街は、東京とはまた別の勢いでオフィスに向かう人々を呑み込んでゆく。
メトロでUターン気味な遠回りをしてホテルのエントランスまで圭一を送った薙久は、ちらりと手を振って足早な人々の流れに乗った。
途中でコーヒーとプレッツェルを買ってオフィスに駆け込むと、ラップトップを起ち上げながら慌ただしく呑み込む。
圭一は、ちゃんと食事を摂っているだろうか。
昨夜の彼の肌と声を苦労して意識の向こう側へ押し遣りながら、薙久は資料を引っ張り出し、データを纏め始めた。
久し振りに、終業時間が待ち遠しくて仕方ない。
週末も待ち遠しくて堪らない。
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