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恋狐の契り

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書籍紹介

 大切で大好きだから、東吾さまの狐にしてください。

遠縁だという東吾に惹かれる理也。彼の役に立ちたいと、謎の修行にも耐えてきた。そんな中、東吾は狐使いで、理也は彼に拾われた狐だと知る。記憶を失った理也を、東吾はずっと見守っていてくれたのだ。いっそう東吾を慕う理也は、狐の力を顕現させて彼と契約したいと願う。なのに、接吻けで東吾から力を分けてもらっても体が熱くなるだけ。こんなにも恋しくて、泣きたくなるほど東吾のものになりたいのに、なかなか契約の徴は現れず……。
立ち読み
 『俺は、東吾さまのものになりたいです。東吾さまのものにしてください』
 人の身であれば、理也はまた声を上げて泣きじゃくっていただろう。今はきゅうきゅうと情けない音が喉から漏れるばかりだ。
「……焦らなくていい。私は理也に徴が現れなくても、おまえを決して手放す気はない」
 そう言い切ってくれた東吾に、理也が喜びを感じたのはわずかの間だけだった。
 気づいてしまったのだ。東吾が本心からそう告げてくれたとしても、今のままの自分が東吾のそばに居続けるのは難しいのだと。でなければ、こうして他の人の目を盗むように東吾と触れ合わなければいけない理由がない。きっと自分がそばにいることは、東吾の立場を悪くすることなのだ。
「ひどいことをしているのはわかっているんだ」
 東吾が理也の狐の体を正面から抱え直し、ぎゅっと抱き締めてくれた。理也はそうされるまま、東吾の胸にぺたりと喉を押しつける。
「おまえを弱らせ、思考を奪い、飢餓を与えて、本能が力を喚び出すよう仕向けている。その力を無条件の忠誠の許で使わせるために。まるで奴隷の扱いだ。私はおまえにそんなことをさせたくはない」
 忠信なら、こんなにも東吾に対して抱いているのに。
 なぜそれが形になって表れてくれないのか、理也は悲しくて仕方がなかった。
『俺は、東吾さまのものです。本当に、そうです。他にありません。信じてください』
「わかっている。だがおまえは、人の身になる時に、狐の意識を保っていられない。狐が人の姿を取り続けるのは、大変なことだ。──それでもおまえは上手に人に化ける。だからこそ三枝の家で暮らしてもらっている。日頃は里にいて用のある時のみ外に連れ出される狐だけではなく、最初から人の世に紛れ込む狐も竹葉には必要だ。そう言って、他の者たちには、理也を屋敷から出すことを納得させている」
『でも俺は、東吾さまのそばにいたいです』
 理也は頑固に言い張った。
『人になっても、今の話を、東吾さまに拾っていただいたことを、忘れたくないです。覚えていたいです。どうしたらそうできますか』
 人の姿を取れば、また何もわからなくなってしまう。わからないことに疑問すら抱けずにいるかもしれない。東吾に対する思慕の念は抱いたまま、それをどうにもできず──東吾と二人きりでいられる時間はほんのわずかで、人前では竹葉の当主としての態度を貫かれ、あの無感動な目で見られるばかりの子供に戻ってしまう。
 理也には耐えられない。
「……私の力を、少し、分けてあげよう」
 理也を抱き締めたまま東吾が言う。理也は小さく首を傾げた。
『でも、力を分けてもらえるのは、顕現してからじゃ……?』
「目を閉じて」
 理也の問いには答えずに東吾が続けた。理也はそれ以上は問わず、おとなしく目を閉じる。
 何か柔らかいものが、理也の鼻面に当たった。
 温かい。
「私のことだけを考えていなさい」
 命じられなくても、理也ははなから東吾のことしか考えられない。
 鼻から、牙を持つ口許の方へ、柔らかいものが移動する。
 それが東吾の唇だと気づいて、理也は全身が熱くなった。頭の中も、焼けたような熱が宿る。
(気持ちいい──)
 触れ合ったところから、強い、濃い、でも優しいものが流れ込んでくる感じがした。感情と力のうねり。理也はそれがもっと欲しくて、請うように口を開き、舌を差し出す。もっと、と心が思うままに、それを熱心に吸い込んで、舐め取って、呑み込んだ。
 東吾から与えられるものを夢中で貪っているうち、何だか変だな、と気づいた。
 感触が、さっきまでと変わっている。
 東吾の唇に触れるところが、広くなっている。
 思わず東吾の言いつけに背いてうっすら目を開けて、理也はぎょっとした。
 いつの間にか、人の姿になっていた。
 何も身にまとわず、裸の肌を剥き出しにして、東吾に縋るように接吻けをねだる格好になっていた。唾液が口の端から伝って顎まで垂れている。どれだけ夢中になっていたのか。
 これまでは狐の姿から人の身になる時、一度意識が途切れて、目が覚めた時には狐だった時のことを忘れてしまっていたのに。
 だからまさか自然と自分が人の姿になっているなんて思わなくて、理也は、本当に驚いた。これが、東吾の力なのだろうか。
「ごっ、ごめんなさい……!」
 とにかく理也はあますところなく真っ赤になって、全身から火を噴くような思いで東吾から離れて飛びすさった。
 そうすると、体が東吾の目前に晒される羽目になる。それにも気づいて、理也は身を縮めてその場に蹲った。
(恥ずかしい……こんな、体を)
 貧相な、と老人や男たちに言われたことを思い出し、みじめな気分が蘇ってくる。
 おまけに何だか耳と腰の辺りがむずむずするので、こわごわと触ってみれば、人の肌ではないものが掌に触れるのでぎょっとした。まだ完全に人の姿に戻ったわけではないらしい。耳と尻尾だけが、狐のまま残っている。
「……見ないでください、東吾さま……」
 消え入りそうな声で、喘ぐように理也は言う。どこまでひどい姿だろうかと、もう泣くのを我慢できなくなった。人にもなれないし狐にもなれない。中途半端な姿を、よりにもよって東吾の前で曝け出している。東吾に呆れられたら、嫌われたらどうしようと、理也は必死になって両手で頭を抱え、耳を隠そうとした。
「理也」
 結局堪えきれずに泣き出してしまった理也に、東吾の柔らかい声が掛かった。理也は恥ずかしくて顔が上げられないまま床に蹲る。
(ああでも、これじゃ、尻尾が丸出しだ)
 しゃくりあげていると、ふわりと、背中に布が当たる感触がした。
「理也、顔を上げなさい」
 涙でぐしゃぐしゃになった顔だって東吾には見せたくなかったのに、優しく促されると、理也にはどうしても逆らえなかった。啜り上げながら顔を上げる。東吾が着物の袖で濡れた顔を拭ってくれるので、理也は慌てた。
「汚れます」
 東吾は理也の言葉を無視して顔中を拭うと、今度は指先で目許からこめかみを撫でてくる。それから理也が死に物狂いで隠そうとしている耳にも触れた。
「私には隠さなくていい。理也がどうしても嫌なら、無理に見ようとは思わないが。そんなに強く握っていたんじゃ、痛いだろう」
「……」
 指でつつかれて、理也は頑なに耳を握り締めていた手をそっと緩めた。ぎゅっと握り続けたのと悲しいせいで下を向いている理也の耳を、東吾が掌で優しく撫でて、唇でも毛並みを揃えるように触れられた。そうされると、体の底からぞくぞくと妙な震えが湧き出してきて、理也はその震えを味わうように目を閉じる。
 さっき東吾が理也の体に掛けてくれたのは、彼の羽織だった。そこからはみ出した尻尾が勝手に左右に振れる。耳をそっと撫でられ、気持ちいいのを隠しようがなかった。
「どんな姿でも理也は理也だ。私には、全部同じように可愛らしく見える」
 東吾が耳許で囁いた。さっきまでとは違う理由で、理也は少し俯いて赤くなった。悲しいのも惨めだった気分もあっさりと吹き飛んで、喜びばかりが胸の奥から湧いてくる。
 
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