男ふたりで12ヶ月ごはん

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本価格:1430(税込)

  • 本販売日:
    2018/02/01
    電子書籍販売日:
    2018/03/02
    ISBN:
    978-48296-8208-1
書籍紹介

今日は何食べます?

眼科医の遠峯が暮らす芦屋の古い一軒家、そこに転がり込んできた高校時代の後輩・白石。
小説家になっていた白石は、スランプだという。
気分転換しに来ましたという彼と突然始まった同居は、なかなかに快適だった。
事情説明の焼肉、男飯な弁当のみそ炒り卵、
誕生日祝いで前菜がメインな中華コース、
脱稿明けの分厚いハムとふわふわ卵の贅沢サンドイッチ、
遠峯理想のコロッケ載せチキンカレー、
気分転換の単調作業で白菜と豚肉のミルフィーユ鍋、
遠峯の帰省土産ジンギスカン、白石の人生初フォアグラ様、
そうそう、甘党の遠峯はデザートも欠かせない。
くりきんとんにモンブラン、クリームパンに桜餅──。
ご飯が美味しければ一年なんてあっという間。
男ふたりのごはん歳時記。

椹野先生のお気に入りがいっぱい!

立ち読み

 僕は、もともと極度にインドア派なので、あまり家から出ない。
 少なくとも東京にいた頃は、必要に迫られない限り、極力家に籠もっていたいほうだった。
 でも、こっちに来てから、家の周りを散歩するのが好きになったし、昼間に買い物に出るのも、そんなに嫌ではなくなった。
 何がそんなに違うかというと、何よりも人間の数だ。
 東京に比べると、圧倒的に人口密度が低い。そして、空間にゆとりがある。
 こっちに住んでいた頃はちっともそんなことは感じなかったけれど、一度都会暮らしを経験すると、地方の街のよさが物凄くわかる。
 改めて、芦屋、なかなかいいところだ。
 ぐうう。
 ぼんやりとそんなことを考えながら手を動かしていたら、腹が鳴った。
 壁の時計を見たら、午後一時を過ぎている。
 ダイニングテーブルでノートパソコンを立ち上げたのは、午前十一時過ぎだったと思う。頭の中におぼろげに浮かんだ話をこねくり回しているうちに、二時間も経ってしまっていた。
「何か作るか」
 僕は立ち上がって、台所に行った。
 先輩は自炊をほとんどしなかったようで、僕が来たとき、冷蔵庫は飲み物とアイスクリームの保存場所だった。
 他に入っていたのは、調味料……それも、コンビニ惣菜についていて、使わなかった小さなパックの醤油やマヨネーズやソースの賞味期限切れのものばかりだ。
 僕が来るまで、先輩の食生活は、外食とコンビニとパン屋さんに支えられていたらしい。
 さすがにそれは身体にあまりよくなさそうだし、家賃を大幅にまけてもらっていることだし、僕は料理番を買って出た。
 週に何度か地元のスーパーに買い物に行って、食材を買い込んでくる。食費は、先輩と僕でざっくり折半だ。
 僕は冷蔵庫を開けて、ラップフィルムをかけた皿を取り出した。
 皿の上にあるのは、昨夜の豚の生姜焼きの残りだ。
 そこそこ美味しく出来たと思うけれど、冷蔵庫に半日入れたせいで、脂身部分は真っ白になり、肉自体もカチカチに固まってしまっている。
 しかも余ったのはたったの一枚なので、これだけでは物足りない。
 軽くアレンジして量を増やそう。
 昨夜炊いたご飯は余らなかったので、こんなときに重宝な「サトウのごはん」のフィルムの端っこだけを指示どおりにめくり、電子レンジに入れる。
 必要な加熱時間はきっかり二分だ。
 その間に、フライパンを火にかけ、ちょっと多めに油を引く。
 袋詰めのもやしを一掴みだけ拝借して、ざっと洗ってフライパンの端に置き、それからエリンギの下半分をちょんと切って、薄切りにして、これまたフライパンに放り込む。
 それから、貴重な生姜焼き一枚も一口大に切って、皿に溜まっていた汁と共にフライパンの空き場所に投入し、ざっと炒め合わせる。面倒だから、ずっと強火だ。
 その頃にご飯が出来上がるので、電子レンジから出して、フィルムを剥いでおく。
 一方で器に卵を二個割り入れ、砂糖小さじ一杯、醤油小さじ一杯を入れて、溶きほぐしつつよく混ぜ、炒まった具の上から流し込む。
 ぐるっと大きく混ぜてしばらく置いて、それからまたぐるっと混ぜて。
 それを何度か繰り返して、卵がふわっと盛り上がり、少し半熟部分が残った頃合いで、パックのままのご飯の上に滑らせる。
 洗い物を極力減らし、残り物を活用した簡単丼だ。
 箸ではなく、スプーンでざくざく掬って頬張る。けっこう旨い。
 ふわりとしたほんのり甘辛味の卵と、温めて柔らかさを取り戻し、生姜風味をまとった豚肉、それにエリンギともやしのシャキッとした歯ごたえ。
 おまけに、卵の半熟部分が下のご飯に滲みて、ちょっと卵かけご飯風になるのもいい。
 ワシワシと飯をかき込んであっと言う間に平らげ、もう少し食べたいかも……と思っていたら、ノートパソコンの横に置いてあったスマートフォンが、賑やかな着信音を鳴らし始めた。
 僕は空っぽになったサトウのごはんの容器越しに手を伸ばし、スマートフォンを取った。
 先輩からの電話だ。
「もしもし?」
 通話ボタンを押すと、先輩はいつものかっこいい声でいきなり言った。
『今、駅前でバルをやってるんや。知っとったか?』
「バル?」
『スペイン語のバル、知らんか?』
「いえ、知ってますけど……先輩がバルを、ですか? 病院に仕事に行ったんじゃなかったんですか?」
『アホか、俺は病院や。芦屋バルっちゅうイベントが、年に一度あんねん。それが今日なんや。芦屋の色んな店が参加して、バルメニューを提供するっちゅうイベントなんやけど、お前、暇やったらちょっと出て来おへんか?』
 何故あと十五分早く電話してくれなかったんだ……!
 そう言いたくなったけれど、よく考えたら、もう少し食べたいと思っていたところなのだった。
 しかも、バルメニューなら、さほど腹に溜まるものはないんじゃないだろうか。
 だったら、まだあまり詳しくない芦屋の店を先輩に連れ歩いてもらうのも楽しそうだ。
「行きます! どこ行けばいいですか?」
『お、ええ返事やな。俺はもうすぐ職場を出るから、JR芦屋駅前に三十分後っちゅうことで』
 そう言って、先輩は電話を切った。
 準備をして、腹ごなしにのんびり歩いていけば、ちょうどいいコンディションになれそうだ。
 席を立つ前に、少し予備知識を入れていこうと、僕はノートパソコンを引き寄せた。
 検索してみると、ちゃんと公式ページがある。
 しかもバルという言葉からてっきり「軽食と飲み物」を想像していたのに、それだけではないようだ。
「凄いな。ケーキに、パンに、和菓子に煎餅、パフェを出す店もあるんだ。マッサージに整体に、ネイルに睫毛ケア、ヘアカットも? 歯のホワイトニングまで……?」
 いったいバルとは……という根源的な疑問が頭を駆け巡るが、こういうごちゃ混ぜ感は大好きなので、定義なんかどうでもいい。
 飲み食いに主軸を置きつつ、色んなことを楽しみながら地域を巡るイベントなんだろう。
 店の場所も、街のあちこちに散っているようで、巡回バスが出ているらしい。けっこう大がかりだ。
「へえ、面白そう。先輩、どんな店を回りたいんだろうな」
 ワクワクした気持ちで、僕はパソコンの電源を落とし、立ち上がった。

「お前、昼飯食うたか?」
 駅の改札を出てきたスーツ姿の先輩は、開口一番、そう訊ねてきた。僕は、正直に答える。
「昨日の残りもんで、ささっと」
「主婦か」と笑いながら、先輩は「俺もや。上司が蕎麦屋に誘うから、断れんかってな」と言いながら、スーツのポケットから五枚綴りのチケットを三枚取り出してみせた。
「前売りを買うといたんやけど、肝腎のお前に言うんをすっかり忘れとった。暇でよかったわ」
「え、いくらですか? 半分払いますよ、僕」
「五枚綴りで三千五百円やけど、そのくらいかめへん。奢ったる」
「いいんですか?」
「今さらやろ。外で食うもんは、お前の家事労働と相殺や」
 確かに、外食のときはしょっちゅうご馳走してもらっているし、家事労働を評価してもらえるのもちょっと嬉しい。ありがたく、チケットはもらっておくことにした。
「なるほど、現金じゃなくて、チケット一枚とか二枚とかで払うんですね。で、どこ回ります? 昼間にやってるとこも、夜だけのとこもあるみたいですけど……。僕、あんまり詳しくないですし、先輩のお勧めの店で」
 スマートフォンでバルの公式サイトにアクセスして、店とメニューの一覧表を眺めながら訊ねると、先輩は即答した。
「二人とも昼飯は済ませたわけやし、デザートでええやろ」
「へ?」
「デザート。つまりスイーツやな」
 賢そうな顔とシュッとした服装の先輩の口から、低くてかっこいい声で滅茶苦茶滑舌よく「スイーツ」という言葉が出ると、猛烈におかしい。
 女子ならギャップ萌えとか言うのかもしれないが、野郎の後輩としては、ひたすらおかしい。
「先輩が甘党なのは聞いてましたけど、マジですか。スイーツのハシゴ?」
「あかんか?」
「や、いいですけど……続くとしんどいんで、しょっぱいものと軽く一杯を適当に挟みたいかな」
 僕がそう言うと、先輩は綺麗に剃った顎に手を当てて、「ふむ」としばらく考えてから頷いた。病気の治療方針を立てるときにするような冷静な表情で口を開く。
「せやな。あんまし長時間並ばんとあかん系は避けて……」
「ですね」
「そうなると、手始めに『マグネットカフェ竹園』で肉的なもの、『芦屋咲くや』でパフェとハーブティー、『シェフアサヤマ芦屋洋菓子工房』でケーキセット、『CASA PEPE』でピンチョスとワイン、『Peri亭』でケーキセット、『Bis』でガツンと肉料理盛り合わせ、あと、余ったチケットで、『パティスリーエトネ』のパウンドケーキと、田中金盛堂のせんべいを持ち帰る。これでどうや」
「ど、どうや、って」
 立て板に水のプランに、僕は目を白黒させるしかなかった。

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